呼吸によって記憶力や表情を見分ける速さが変わる

工樂真澄

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寝ても覚めても、当たり前のように行っている「呼吸」。ほとんど意識することはありませんが、状況や場面によって呼吸の速さは変わります。運動をしているときはもちろんのこと、興奮しているときや音楽を聴いているときなど、体や脳の状態が呼吸に現れているといってもいいでしょう。今回ご紹介するのは、呼吸によって「記憶」に違いがあることを調べた論文です。

吐く息と吸う息では記憶力に差が出る

アメリカのノースウェスタン大学のZelano博士らのグループは、呼吸によって認知機能に違いがあることを見出し、2017年に論文として発表しました。研究にはまず、「てんかん」手術前の7人の患者さんに協力してもらいました。手術前に脳に直接電極を入れた状態で、呼吸と脳の各領域の関連を観察しました。その結果、「鼻呼吸」のリズムと「海馬」と「扁桃体」の波長がたいへんよく同期していることがわかりました。この同期は「口呼吸」をしている場合には見られませんでした。

「扁桃体」は感情をつかさどる部位と言われます。そこで博士らは、呼吸と「感情」との関連を調べるために、18歳から30歳までの健康な70人に協力してもらい、実験を行いました。被験者を3つに分け、一つのグループには「鼻呼吸」、もう一つのグループには「口呼吸」、残りのグループには「口を開いたまま鼻呼吸」をしながら、人の表情を読み取るテストをしてもらいました。テストでは画面に「驚いた顔」と「恐怖を表す顔」がランダムに現れます。被験者はその表情が驚いているのか、恐怖を表しているかを判断して、できるだけ速くボタンを押します。実験の結果、息を吸っている時のほうが、息を吐いている時よりも、「恐怖を表す表情」に素早く反応することがわかりました。驚いた表情については、呼吸による判断の差はありませんでした。

さらに、呼吸との同期が見られた「海馬」は、「記憶」をつかさどる部位です。そこで呼吸と「記憶」との関連を調べるために、18歳から30歳までの健康な42人に協力してもらい実験を行いました。15分間の「記憶セッション」の間に、画面上に次々に現れる180個の「物」を、できるだけ多く記憶してもらいます。20分の休憩の後の「テストセッション」では、画面に現れた物が、一度目のセッションにも含まれていたかどうかを判断して、ボタンを押して答えます。実験の結果、息を吸っている時のほうが、息を吐いている時よりも、正確に記憶していることがわかりました。また、息を吸っているタイミングのほうが、正確に思い出すこともわかりました。

さらに、上記の傾向は「鼻呼吸」をしているときだけに現れ、「口呼吸」では吐く息と吸う息での違いは見られませんでした。以上の結果から、「鼻呼吸」は認知機能との関連が深いことが示唆されました。さらに、吐く息と吸う息とでは、脳の扁桃体や海馬の神経細胞の活性化の程度が異なり、吸うタイミングのほうが、敏感かつ正確に反応することがわかりました。

記憶と感情は密接に関係している

「記憶」というと勉強や仕事での成果と関連付けて考えてしまいがちですが、そもそも「記憶」は、生物が生き延びるためになくてはならない能力の一つです。人以外の動物であっても、例えば天敵に遭遇しやすい場所や匂いを覚えておくことや、エサを得やすい天候や環境を記憶しておくことは、生死に関わる問題です。このため「記憶」は多くの場合 、命に関わるような「恐怖」と密接に関わっています。恐い思いをした出来事のほうが、楽しかった出来事よりも鮮明に強く覚えているのはそのためです。
恐い状況やパニックに陥ったときには呼吸の回数も増えますから、息を吸うタイミングも多くなり、それだけ状況を迅速に判断するようになると考えられます。

今回の研究から、呼吸と記憶や感情の判断は関係していることが示されました。いずれは、感情を呼び覚ますような体験を行ったり、呼吸そのものを多くすることで、記憶を向上したり、改善することができるようになるかもしれません。

ご紹介した論文
Nasal Respiration Entrains Human Limbic Oscillations and Modulates Cognitive Function.
Christina Zelano et al. Journal of Neuroscience. December 7 2016; 36(49): 12448-12467